韓国超豪華旅行 ページ3


バイキング

10月20日、ホテルの朝はバイキングだ。日本でもよく見かける風景だが、やはり、メニューが微妙に違う。一番違うのは、キムチ、ナムル類がずらりと並んでいることだろう。当然、朝からキムチをパクパクと食べる。日本では少し考えられないような食生活になっているのに気がついたりする。韓国風の粥もある。肉や豆の小刻みにしたものが入っていて、味付けがしてある。これが、またとてもうまい。味噌汁も日本と変わらないようなので、飲んでみる。「しまったぁぁぁぁぁ」。また、納豆味だ。韓国では味噌汁はだいたいどこで飲んでも、納豆の味が微妙にする。これだけには閉口する。またまた、朝からたらふく食ってしまった。

石窟庵

バスに乗って、チェックアウトを済ませ、ホテルを後にする。朝、目も覚め切らないままに、バスガイドの声を聞きながら、バスは山道を登っていく。石窟庵といって、石窟の中に大きな仏像のある場所に行くらしい。駐車場にバスを停め、しばらく歩かなければならない。まだ空気の冷たい山道を歩いていく。ここは観光名所らしく、同じ道を遠足の小学生達がバラバラと歩いていく。今時の小学生は遠足にカメラを持ってきている子供が多い。ときどき、みんなで集まって写真を取っている。

仏像のある場所までいくと、行列になっている。仏像のある石窟には、石窟を覆うように建物が立てられており、現在改修中らしい。中に入るとガラス越しに大きな仏像がライトアップされており、ガラスの中では敬謙な信者達が頭を地面につけて、仏像を拝んでいる。仏像は信仰の対象でもあるため、写真撮影は禁止のようだ。いつ建造されたのかは知らないが、古い年代のものにしては保存状態が良く見える。

また、山道を歩いて駐車場まで向かう。小学生達もまた、同じ道を歩いて帰る。一人の少年が、わたしに興味を示している。二人連れのようだ。歩きながら、ちらちらとこちらを伺っている。にっこりすると、向こうもにっこりとする。唯一、知っているハングル語で「アンニョンハシムニカ(こんにちは)」と言ってみた。いきなり、ハングル語で答えが帰ってきたが、全然わからない。はたして、わたしの知っているハングル語はそれで、すべてである。英語で「アイスピークジャパニーズ」と言ってみた。彼らは驚いて、どこかに走っていった。しばらくすると別の子を連れてきた。その子が「ABCDE」と言う。この子は少し英語を知っているらしい。さっきの子達はこの子を呼びに行っていたのだ。しかし、「ABCDE」だけでは会話はできない。歩きながら、また最初の子供たちと笑顔だけ交わしながら歩いていく。

手に持っていた旅行ガイドをパラパラとめくる。簡単なハングル語が書いているので、使えるのはないか探してみる。まるで外国人が日本語を読み上げるようにモノトーンに読み上げた。「タンシンイルムウン?(あなたの名前は?)」。意味が分かったのか、照れている。もう一人の子が、その子を名前を言っている。何とか、会話をしたいのだが、言葉は全く通じない。言葉が通じないということが、これほどまでに、もどかしいものなのかと、初めて思った。これまでは、海外を旅行したところで、英語圏ばかりだったので、少しは会話をして意志を通じ合わせることができた。それが、全く通じないのだ。お互いに相手の言葉を全く知らないのだ。カバンの中を探すと飴が二つばかり出てきた。子供達に手渡すと、一人は照れて逃げていった。もう一人の子が二つ取って、もう一人の子にも渡した。駐車場に着くまで、ずっと笑顔だけを交わし合っていた。バスが出る、もうお別れだ。

仏国寺

バスに乗り、仏国寺に向かう。なんのことはない、先程登った山の中腹にあるお寺だった。ここの駐車場にも観光バスが沢山停まっている。広い庭園の中に建物がいくつも建っているようだ。バスを降りて庭園を奥に向かって歩き出すと、先程の子供達がわたしを見つけて近寄ってきた。彼らもコースが同じらしい。集合時間まで境内で自由行動なのだろう。相変わらず、言葉は通じないが、気持ちは通じている。二人の子供達は我々が寺を見て歩くのにしたがって、ずっとわたしに付いて来る。外国人といっしょに歩くこと、ガイドが日本語で解説しているのが、物珍しく面白いと見える。そのうち、すっかりなつかれてしまったようだ。カメラを覗かせてあげたり、写真を撮らせてあげたりする。言葉など通じなくても、人は仲良くなれる。不思議なものだ。

やがて、ガイドが子供たちに強い調子で何かいうと、子供たちは一目散に駆けていった。ガイドの言うには、「いっしょについて周るのが楽しくて、集合時間を忘れてしまったらしい」。彼らにとっても、近くへの遠足だけで終わらない貴重な体験になったことだろう。後で撮った写真を送ってあげよう。きっと、驚くに違いない。もっとも、もっと驚くのは親だろうか。おっと、書き忘れたが、仏国寺は奇麗な寺だった。

博物館

再びバスに乗り、博物館へと向かう。この博物館は無茶苦茶広いらしい。全部見ることはできないので、適当に近くだけを見ることにする。入り口で入場料を払う。一人400ウォンとある。40円。日本で博物館の入場料金が40円ということがあるだろうか。韓国の物価は日本より僅かに安い程度である。こんな何気ないところにも、韓国の人が自らの文化をどれほど大事にしているかを伺うことができる。司馬遼太郎は朝鮮の民を、日本など及びもつかない文化大国であると言っていたが、もっともなことかも知れない。振り返って、日本という国は何と文化を大切にしない国だろう。韓国に来て、人々の暮しを見るにつけ、改めてそんな気持ちになる。もっとも、それが日本の文化と言えなくもないのだが。

ここもまた遠足の学生たちで溢れている。鐘突き堂がある。有名な鐘らしいが、外国人である我々には良く分からない。その前にたむろして記念写真を撮る女子高生たち。ルーズソックスを履いている。「韓国でもルーズソックスが流行っているのか」と誰かが何気なく言うと、「私達、日本人です」と学生達が笑う。なるほど、韓国の女子高生はルーズソックスを履いていない。何ということだ。日本人の作り上げた究極の美、世界に誇る最先端のモード、女子高生とオジサンを虜にして止まないルーズソックスは、アジアの片田舎での、陳腐な流行にしか過ぎなかったのだ。

日本人と韓国人を見分ける方法がいくつかある。顔を見ても同じモンゴロイド系の日本人と韓国人では良くわからない。女子高生ならルーズソックスを履いている子がいるのは日本人の集団だ。眼鏡でも判別することができる。横に細長い眼鏡をしてる人のいる集団は韓国人の集団だ。韓国の眼鏡は日本に比べて縦幅が短いようだ。とても経済的だと言うが、センスの問題だろう。そうそう、女の子たちが手を繋いで歩いていたら、韓国人だ。韓国の女の子達はあちらでもこちらでも、手を繋ぎ、腕を組んで歩いている。その組み合わせは友達同士のこともあれば、親子のこともある。たまには、制服を着た社会人さえもが、手を繋いで歩いている。韓国の女の子達は仲がいいらしい。

さて、博物館に入る。韓国の古代からの歴史が展示してあるようだ。展示物を見て驚いた。銅鐸だ。それも、日本のものと全く同じだ。よく見れば剣も土器も日本のものと変わらない。文化は中国大陸から朝鮮半島を通して伝わった。そんなことは当然知っていたはずだが、改めて、眼前にその事実を明白にされると、絶句してしまう。日本の民と朝鮮の民とは、このように昔からの深い繋がりで結ばれているのだ。


前のページ     後のページ


紀行の部屋へ戻る

ホームページへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送