韓国超豪華旅行 ページ7


ソウル市街

10月22日、朝食を済ませ、自由の橋へ向かう。有名な板門店ほどではないが、北朝鮮に近い場所だ。バスでソウルから一時間程の距離だ。途中にソウル市街を通り抜けていく。ソウルの人口は1300万人だ。市街でのドライバー達の運転は荒い。まるで、ぶつかるかのように、車が間際まで突っ込んで来る。ソウルの交通渋滞は有名らしい。突っ込まなければ、割り込めないのだろう。ひどい渋滞だが、それでも最近のウォンの通貨下落でガソリン価格が上がり、渋滞は緩和されているのだという。

ビルに温泉マークがペイントされている。丸い輪に湯気が立っているような、あのマークである。都会のビルに温泉は似合わないなと思っていると、近くの人が説明してくれた。韓国では温泉マークは宿屋の印だ。別に温泉があるわけではない。住宅用のビルは密集して建っている。まるで、四角い土地のすべての辺にビルが建っているような感じだ。韓国では建ぺい率が緩いのだろう。それにしても、向かい合うビルからお互いの部屋が丸見えだと思うのだが、気にしないのだろうか。バス停では、どこでも、人々が歩道から道路に身を乗り出すようにして、バスが来るのを見ながら、待っている。待ちきれない人々は、道路にまで降りて見ている。日本と違うのは、きちんと列を作っていないことだ。ソウル駅が見えてきた。ソウル駅は、外観は東京駅とほとんど同じだ。というのも設計者が同一人物らしい。なんとも、日本と韓国は縁深いことだ。

北へ

バスは、市街を抜け高速道路に乗り、北へ向かう。住宅街が現れ、工場地帯が現れ、田園風景が現れ、やがてススキ野になる。韓国では、人々は常に北の脅威を意識している。北朝鮮の軍隊がいつ乗り込んで来るかも知れない。北朝鮮に近い場所には誰も住みたくはないのだ。自国の領土に何かが落ちてから、ミサイルだろうか衛星だろうかと悠長な話をしている国とは、わけが違うのだ。

北朝鮮よりの高速道路沿いには鉄条網が張られ、民間人は立ち入りが禁止されている。一定間隔で見張り小屋が建ち、兵士達が銃を肩から掛けて見張りをしている。高速道路に分厚いコンクリートでできたトンネルのようなものをくぐりぬける。不思議な建造物だなと思っていると、誰かが言う。「戦争が起こったら、あれを爆破して道を塞ぐのだ」。そういえば、韓国の高速道路は、各都市間をきちんと結んでいるし、非常に幅が広く、車線も多い。そう、すべて戦争に備えてのことなのだ。

北へ北へ、片道4、5車線もある立派な高速道路がどこまでも続く。南北統一を成し遂げたら、ピョンヤンまで一直線の高速道路を引く予定で、この高速道路はその一部なのだとガイドが説明する。韓国統一などいつになるかも分からないし、その目処さえ全くたっていないというのにだ。そんな高速道路をずっと走っているうちに、南北統一を願う人々の願いが痛いほどにひしひしと伝わってきた。わたしの意識は人々の意識に自然と同調し、わたしの頬には幾筋もの涙が流れた。北にも、南にも、同じ言葉を話す、同じ文化を持った人々が住んでいるのだ。人々は国境線により、引き裂かれ、昨日の友人にも、家族にも会うことができないのだ。民族の分断は耐え難い悲劇だ。そして今、北の仲間は貧困と飢餓に苦しんでいるのだ。どれだけ、その仲間達を救いたいことか。どれだけ、同じ喜びを分かち合いたいことか。統一を願う人々の気持ちは、言葉にできないほど大きい。北は脅威であると同時に、血を分けた兄弟達の住む土地なのだ。

自由の橋

自由の橋へ着いた。金網の向こうに、北朝鮮へと続く一本の橋がかかっている。ここから先は国連の管理する非武装地帯だ。南北、お互いに国境線から一定の距離内には何も建造しないことになっているらしい。北に向けての写真撮影は禁止だ。

その一帯は公園になっていて、朝鮮戦争当時の戦車や、戦闘機も展示してあった。もう、ずいぶんと旧式のものだが、間近で見ても気持ちの良いものではない。公園には平和を願う彫像が幾つも建っている。北朝鮮に旅行したという友人の写真を見せてもらったことがあるが、そこにも多くの彫像があった。彫像好きは朝鮮の文化なのだろう。ちなみに、日本人が北朝鮮を旅行することは可能だ。ただし、当然ながら韓国から入ることはできない。中国経由ということになる。だが、あまり行きたい人もいないだろう。何かあれば生きて帰っては来れないような気がする。

統一展望台

自由の橋を後にし、統一展望台へと向かう。統一展望台は、北朝鮮の領土が見える場所に立てられた展望台だ。登ってみると、ここも観光名所のようだ。遠くに霞む北朝鮮を背景にして女子高生たちが記念写真を撮っている。ここでも、韓国側の軍事施設は撮影が禁止されている。展望台からは北朝鮮の街が見える。望遠鏡でのぞけば、うまくすれば人影も見えるらしい。実は、北朝鮮にとって、この街は南への宣伝の街なのだ。展望台が出来ると、ビルが沢山建ち始めた。北が繁栄していることを南に示すためだ。だが、物資不足で建設途中のまま投げてあるものも多いという。


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